頑張ってもいい 頑張らなくてもいい ~頭の中の変換機~ 

前向きって大事
キラキラ輝くことももちろん楽しい
才能を開花する
使命を生きる



それに向かって頑張ること
どれも素敵で素晴らしいことですね。



でもそうではなく
無理に頑張ってばかりいると
優しさがどこかへ消え去ってしまう…

そんなことがありました。
それってきっと
私が私に優しくなかったからなのでしょうね。




疲れた
何もしたくない



そんな日、誰だってあると思います。



それが続く時期もあります。
心も身体も休みたがっている。
身体がいつものように動かない。
これは休んだほうがいい。


”なのにどうしても休めない…”


そんな経験ありませんか?





今は疲れたらしっかり休みます。
とことん休みます。
でも、以前はどんなことも
手抜きをすることができませんでした。



無理をし続けていると
本当に身体が言うことを聞きませんでした。



洗濯物を取り込んでたたむことができない
息子に持たせる連絡帳が書けない


夕飯の献立がどうしても思い浮かばない…


心も身体も疲れきっていたのだと思います。
そんなとき


「なんでもいいよ」


そう言われることが私はとてもつらかった。


頭の中に自動変換機があって


「なんでもいいよ」


その一言が


「何でもいいから美味しいもの作ってね」


そんな言葉に変換されて


「絶対に何か作ってね」


最後にはそんなふうに変わっていました。
もちろんそうではなかったのでしょう。
ですがそれが原因で
どうしても手を抜くことができませんでした。


だからお願いしたことがあります。
「作るなと、命令形で言ってほしい」と。
返ってきた言葉は



「作らなくてもいいよ」



「・・・」



違うんです。
そうじゃないんです。
かけてほしい言葉はそうじゃない。


「作らなくてもいいよ」


もちろんそれは優しさからでしょう。
そうなのかもしれない
そうだとわかってはいるけれど…


「作ってもいいよ」


そう変換されてそのあと


「作るなら美味しいもの作ってね」


そう変わってしまうのです。


そんな自分がとても面倒くさかった。
嫌で嫌でしかたがなかった。

だからといって
無理やり休むとあとで罪悪感にさいなまれるから
結局無理して動いてしまう。


自分を大切にしていないから
周りも大切にできなくなって


だんだん心も疲弊していく。


そんな悪循環を繰り返していました。
だけど私だけのものではないと思うのです。



この頭の中の変換機。



そう受け取るほうが悪いと言われたとき
もう、気が遠くなるほど落ち込みました。

悪いと言われても自分ではどうしようもない。
だって、頭の中にあるのだもの。

私だって
本当はゆっくり休みたかった。





生まれたときにはなかったはずです。
そんな不要なもの神様がくださるはずがない。


勝手に自分で埋め込んだのでしょう。
何かのささいなきっかけが積み重なって。


なぜ手を抜くことができなかったのか。


頑張らないと価値がないって
勝手に決めつけて思い込んでいました。


物心ついたころに褒められた記憶が
とても頑張った成果がでたときだけだったから


そうなるのが自然なのかもしれません。


私もきっと
息子に同じ思いをさせてしまったのでしょう。

本当は存在するだけで
ただそれだけで良かったのに。






”無事に産まれてほしい”
”早く会いたい”





婦人科系の疾患や流産、切迫早産
辛かったことを思い返せば
”産まれてきてくれること”
それがどれほどの喜びであったのか。


今回、久しぶりに思い出しました。
産まれてくるわが子にむけて作った絵本。


幸せがたくさんたくさん
あなたに訪れますようにと
ただそれだけを綴った絵本


それがいつの間にかいろんなことに
口出しするようになってしまった。

私は自分を信じていなかったから
彼のことも信じていなかったのでしょう。


だから息子は私に信じてほしいと言ってきた。
彼のほうがよっぽど心は大人です。




今は変換機などありません。
だから言葉は素直に受け取れます。

もし裏に隠された言葉あったとしても…
素直すぎて汲み取れません。

でも、それがいいと思います。
そんな自分が大好きです。



最近は疲れてくると
何も考えることができなくなるので

「あ、疲れてきたな」

そう気づくことができるようになりました。
脳に栄養がまわらないのか
もしかしたら悩みが出ないように
脳がフリーズしてくれているのか。


どちらにしろ
しっかり休めるようになりました。


「休むことを頑張って」
頑張り続けていたころ
知人からいただいたアドバイス。




…頑張るって、なんでしょうね…




そんな経過をたどった今の私が思うこと。



頑張ってもいい
頑張らなくてもいい



どちらでもいいのだと思います。



だって若き日の孫正義さんのように

「1秒も無駄にしない」

そんなふうに頑張ってくださる方は
いつもいつの時代もきっといますから。



今日だって
頑張ってくださる方はたくさんいる。



今、この瞬間にもきっといる。


それなら
疲れた私が頑張るのは別の日でいい。


疲れたあなたが頑張る日も
きっと別にあっていい。



ずっとは頑張らなくていいんです。
みんな、時(とき)が違うだけ。




だけど何かに向かって
「1秒も無駄にしないこと」



人生で一度はやってみましょうよ。
せっかく生まれてきたのですもの。



だからこそ疲れたときはしっかり休みましょ。
最近は疲れたとき
頑張ってきた過去の私たちと一緒に休むよう
心がけるようになりました。




疲れたら細胞の隅々まで労わって
徹底的に甘やかして
そしてまた別の日に頑張っていきましょう。



頑張っても頑張らなくてもどちらでも
誰もが存在するだけで
素晴らしい価値があるのですから。






~頑張らない私には価値がない~

自分は存在するだけで価値があるって
本当は誰もが知っていて

この世界でいろんな経験をするために
ちょっと忘れているだけなのかも


~愛と自由と豊かさと
   生きがいに満ちた人生へ~

  

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