ただ誰かを想うこと ~距離を超え時空を超えて~


人間関係


なんとなく疲れてしまうときがありませんか?


とても大切な人であっても
言葉が自分の想いとは違うように
届いてしまったり


違うように受け取ってしまったり


会えばとても嬉しいのだけれど
一緒にいてもなぜがさみしく感じたり


そんなことありませんか?





私はよくありました。
なんだかさみしく感じること。


それを伝えようとしても
どうしてもうまく伝えられず


自分の気持ちを持て余し
素直な気持ちがよくわからない。


そんなことがよくありました。


今思えばそのさみしさは
私自身の心の声であったのだと
理解しています。




自分へ愛を注がずにいるから
心が全く満たされていないのに


それに気づかず
まわりから埋めてもらおうとする。


少し埋まったように思えたとしても
愛は枯渇し

また外側に何かを求めてしまう。


私自身も苦しかったけれど
きっと周りはもっとつらかっただろうなぁ…


振り返ると少し恥ずかしい。






なぜ振り返ってみたかというと
さみしさがなくなったから。


なくなったというよりも
さみしく感じたとしても
自分で対処法がわかるようになったので


わけもなくさみしいということが
なくなりました。


いつもそばにいる自分が寄り添い
愛を注ぐようになったからなのだと感じます。




そうしていくうちに
今までになかった感情に気づきました。


ただ誰かを想うとき
とても幸せな気持ちになっていたのです。







一緒にいるからでも
連絡をとっているからでもなく


ただ誰かを想うとき。


相手の幸せを願っているわけでも
先の未来を想像するわけでもなく


本当にただ相手を想っているとき
幸せを感じるようになりました。






初めはそれが不思議でならなくて
自分の心を感じ切ってみました。


今までに感じたことのない幸福感


一人でいるのに
自分ではなく他の誰かを想っているのに
心が愛だけで満たされている。



自分の中にこんなにも愛があることが
とても嬉しい。


不安でも希望でもなく


”その瞬間が愛だけで満たされている”


そんな自分が嬉しくて愛おしくて
過去にあった出来事全てに感謝できるほどの
魂との一体感。


本当の自分って何にも怖れてなどいません。
愛で満たされているだけなのですね。


そんな溢れる愛を
ただ誰かを想うときに
感じるようになったのです。



毎日あわただしく過ごしている中でも


何か美味しいものを食べたとき


ふと見上げた空が青かったとき


道端に綺麗な花が咲いていたり


仲の良さそうな家族連れを見かけたり


ほんの少しでも心がふわっとしたときに


誰かを思い浮かべてみてください。



すぐに会える人でもいいし
とても遠くにいる人でもいい



もう亡くなった人だとしても
その大切な誰かを想うとき
心が愛だけで満たされる


そんな瞬間があると思います。


疲れていたら
すぐにはできないかもしれないけど


素直になれないことも
あるかもしれないけれど


何もなくても愛で満たされる自分って
とても素敵だと思います。





ひとり過ごす夜さえも
きっと素敵な時間に変わります。





あなたは誰を想いますか?





その相手はきっと
あなたの愛に気づかせてくれる
とても大切な存在です。



そばにいてもいなくても
ただ誰かを想うこと



あなたのそのあたたかな愛は
距離を超え時空を超えて



大切な人のもとへと届くでしょう






~愛と自由と豊かさと
  生きがいに満ちた人生へ~

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